靖国神社参拝も憲法改正も静かに行いたい、と。
ナチス政権は選挙で正当に選出されたんですよ、と。
一般市民が気づかないうちに(=静かに)ワイマール憲法がナチス憲法に変わったんだ、と。
そして、「あの手口に学んだらどうかね」
麻生氏発言に関する記事はこちら
橋下氏によれば、国語力のある人なら麻生氏のナチス発言が悪しき改憲の例ということは明白らしい。
それならば、ナチス憲法は悪しき例として「あの手口に学んだらどうかね」は修辞的な反語という風に解釈してみる。
超擁護訳
ナチスは国民が気づかないうちにワイマール憲法を(あくどいやり方で)改悪した。
その(ずるがしこい)手口に学んだらどうか?(とんでもない話だけどね)
まあ、こんな風に解釈しても発言全体にはめ込むとどこか釈然としないものが残る。
それじゃあ、橋下氏は(失言で苦しむ同輩として)単に擁護したかっただけで、国語力やブラックジョーク云々はマイクパフォーマンスかというと、彼の発言はある部分間違ってはいないと好意的に受け取っておこう。
おそらく、橋下氏が国語力ということで言っているのは、日本語の運用能力ということではなくて、どちらかというと文学的なものというか、物語からキャラクターを生き生きと創造するという類の想像力のことをさしているのではないかと思う。
そして、そのことと、今回の発言によって言外に表明された麻生氏本人の改憲に対する姿勢とはまったく別の問題である。
もう少し踏み込んでいうと、ナチスの改憲について麻生氏が良いと思っているか悪いと思っているかという問題と、それを「使える」と思っているかどうかはまったく別の問題なのである。
文学的な想像力を働かせると、確かに麻生氏はナチスの改憲は悪だと考えていると解釈する余地はある。
しかし、言語力という観点でいうと、実際どう考えているのか?ということは問題として依然残る。
海外のメディアにとって重要なことは、他国の文学的想像力で味わうような類のものでないことは明らかで、選択した言葉のひとつひとつを含めて全体が表明している姿勢だろう。
ところで、ナチスを引き合いにだしたかどうかとか、麻生氏のナチスへの好悪とか、実はそんなことはどうでも良いい。
むしろ、重要な部分はナチス発言以外のところにあるのであって、麻生氏の発言から改憲についての本音が顔を覗かせていることに注意を払うべきだ。
改憲については、(一般大衆より)大人な自民党が(一般大衆より)公正に慎重に議論を重ねているので、一般大衆の意見に左右されずに自公両党の議席で既成事実を作り上げましょうや。
と、こういう考えが透けて見えているところに非常に不信感を覚えるし、加えて96条の改変をあげた自民党の立憲民主主義に対する態度とあいまって、決して軽視すべきではない内容と思われるのである。