スプラトゥーンの完成披露試射会、遊んでみました。
全然関係ない話題になりそうなんだけれども、もうゲーム作るのやめようかなと思った、わはは。
たとえば、昔、俺がまだ小学生や中学生の頃から面白いゲームはもちろんたくさんあった。
それでも、まだより上を望む余白はたくさんあったようにおもう。
もっと自由度の高いアドベンチャーゲームだとか、その世界にいるような没入感のあるRPGとか、外で体を動かして遊ぶより面白いアクションゲームとか。
俺が歳をとって感覚が変わってきた部分もあるかもしれないけれども、なんか、もうこのゲームで十分楽しいじゃん、と、思うことが増えてきたなあ。
ゲーム制作にとって、自分のやりたいゲームを作りたいという動機は、ひょっとしたら一番もろい動機付けなのかもしれない。
シューターは去年だったか、Destinyにどはまりしたのと、キルゾーンシャドウフォールくらいしか長時間遊んだ経験のない俺がいうのもなんだけれども、『スプラトゥーン』はそのどれとも違って、非常に良くできたシューターだった。
最初に遊んだ時のインパクトは、ここ数年でダントツで面白いと思う。
まあ、まだ発売されていないソフトで、数時間しか遊んでないので、持ち上げすぎるのも危険ですが、この一年はおそらくこればっかり遊んでるんじゃないかと思う。
ゲームシステムとバランスとアイデア、デザイン、全てがなんというか、完成されている気がする。
一勝負が5分に満たないくらいで、非常にライトな感覚の割には、やり込みがいがありそうなほど懐の深さを感じるゲームだった。
そして、これはあくまで個人的な感想に過ぎないんだけれども、シューターというかネットワークゲームの最もネックとなる負けたときの動揺と、勝った時のうれしさ、このバランスが非常に良くできていると感じた。
勝ってうれしい割りには、負けてもそれほど悔しくないなんだよな。なぜか。
たとえば、スマブラのガチ対戦なんかだと、勝つとうれしい分、負けると非常に腹立たしい気分になったりする。
まぁ、これもやりこんできたら考えも変わってくるかもしれないけれども、この間口の広さはネット対戦をメインにしたシューターでは、ダントツだと思う。まぁ、他をあんまり知らないってのもあるかもしれないけれども。
この、勝った時の喜び>負けた時の動揺、というバランスがどうやって成り立っているのかは分析してみる価値があるかもしれない。