絵を描いていると必ず耳にするというか目にする言葉、パース。
簡単な説明を聞いて、まあ透視図法による遠近表現のルールくらいに考えていた。
しかし、実際に使ってみたことは無い。
というのも、クリスタなんかのペイントソフトで、パース定規を使ってみようとしたときの話。
一点透視や二点透視、また三点透視などがあって、結局パースってなんなの?ってなってわけがわからなくなったのであった。
パースって何なの?
もっと問いをせばめると一点透視や二点透視、また三点透視ってあるけど、なぜ一点(または二点、三点)に収束していくのか?
ちゃんとパースという概念を自分なりに噛み砕いて理解していないことがわかる。
視覚世界は論理的には上下左右全方向に焦点を定めることができるのに、なぜ一点や二点、三点に収束するのか?
そもそも平行線はどこまで言っても平行のはずなのに、人の目で見ると一点に収束するのはなぜなのか?
ここからは、おれ自身の頭で考えた俺なりの解答だ。
まず、平行線が人の視界からみると一点に収束して見えるのはなぜなのかを考えてみた。
答えはこうだ。
人間の目はレンズを持っていて、レンズを通して世界を眺めている。
そしてそのレンズは、表面が湾曲している。
その表面が湾曲しているおかげで、眼球よりはるかに大きい外界を見ることが出来るようになっている。
もしもレンズの表面がフラットならば、眼球の大きさでしか世界を見ることが出来ないのだ。たぶん。
そのことをベースにして考えると、平行線が遠くに向かうにつれて一点に収束していくように見える現象も理解できる。
眼球より大きな世界を眺めているとすると、視界の端から端までの幅は、眼球から離れて行くにつれて広がっているわけだ。
たとえば、全長100メートルのサッカーグラウンドを視界全体で捕らえているときでも、眼球のそばの視界の幅は眼球の大きさよりやや大きいくらいでしかない。
つまり眼球のそばでは10センチの割り箸が視界の端から端を埋めるのに対して、視界のはるか先では100メートルのフィールドが視界を埋める。
というわけで、幅10センチの平行線は眼球から離れるにつれて、その幅が縮まって見えるというメカニズムになっているわけだ。
なるほど。おれ賢いわはは。
それでは、次の問い。
視覚世界は上下左右全方向のどこにでも焦点を定めることができるのに、なぜ一点や二点、三点に収束するのか?
結論から言うと、一点や二点、三点のみならず、十点透視や百点透視、なんなら億点透視など透視の収束点は無数にありうる。
両目を結んだ直線に対してほんのわずかでも角度をなす直線は全てどこか一点に収束していく。
別の言葉で言い換えると、両目を結んだ直線を0度とすると、0度と180度以外の全ての角度の直線の数だけ、透視点は存在するのである。
つまり論理的には無限に透視点はありうる。
ただ、実際に絵を描くときは、透視点を絞らないとパースが意味を成さないから、絵の主題にとってもっとも重要な焦点のみに絞った結果、1~3点透視ということになるのだ。
ここから導ける実践的な教訓は何か。
パースとは、絵のガイドラインにすぎず、現実には無数にありうる焦点から任意に選ばれたものに過ぎないので、厳密にパースに従って描くことが世界を正確に描くことにはならないということだ。
そういうパースの性質を存分に生かすためには、まず絵の主題を見極めて、透視点を絵の中でもっとも多く使われる直線の角度に定めることだ。
もちろん、パースに従わない直線もあるはずで、そういった線が絵に及ぼす影響を考慮することだ。
どうだろう。
もうパースなんて怖くないよね。