脱サラして気がつけばもう2年と数ヶ月。
当初はカリキュラム組んでこつこつ取り組んでおりました。
決して三日坊主にはならず、結構順調に進んでたと思う。
しかし、だ。
勉強続ければ続けるほど、身につけなければならない(ような気がする)スキルがどんどん増えていって、増えていくばかりかどんどん高度化していく。
やがて、どれかに手が回らなくなっていったり、途中で生活費を捻出するためのお仕事をいただいたりしているうちに、当初の計画はなし崩し的に壊れていった。
いつからか、逃げるようにコンシューマーゲームに夢中になり、特に結果を残せないまま、かといって全部諦めたわけでもなく、だらだらと時間だけが過ぎて今に至る。
いや、ほんと俺の二年をまとめるとこうなるな、わはは。
大学で言えば2年生。
入学当初の志も廃れ、サークルで日々だらだらと麻雀と漫画にあけくれて留年だけはなんとかしないようにぎりぎりの単位を取得する、まさにあの頃を繰り返しとるな。
理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的であるとヘーゲル先生もおっしゃってますが、これが俺の現実なんか?と。
だとしたら、もうタイムマシンに乗らなくても未来は明確に見えてるよな。
資金がつきて、やむにやまれずサラリーマンに戻って数年、おそらく50前後くらいでまた嫌気がさしてきて脱サラを考える。
そのときのいい訳はこうだ。
「以前の俺は全力でやりきったのか?Noだ。自分の可能性をとことん納得いくまで検証できたのか?Noだ」
いやほんと、歴史は繰り返すといいますが、人生だって個人レベルで繰り返しているのかもしれない。
どだい無理な計画は立てたって時間の無駄だってことはよく分かった。
けれども、せめてちゃんと達成可能な目標と日課を決めてやりとげようぜ。
ワンパンマンのサイタマも言ってたな。
ヒーローになるために、たいしてきついわけじゃないトレーニングを3年間一日も欠かさずやりとげたって。
まぁ、あれはギャグだけれども、寓話的ではある。
結局、どんな簡単な目標でも、一日も欠かさずやり遂げられる奴は少ないのである。
とりあえず、自分の無能さに諦めをつけるために俺がやることは、以下のとおり。
・毎日ちょっとでもいいからZbrushでスケッチをつづける。
・毎日少しずつでもいいからポートフォリオ、当面はジオラマの作成をこつこつやっていく。
・毎朝の歩き読書は雨が降らない限りこれからも欠かさずつづける。
・ブログで上記の日課をちゃんとやったかチェックする。
サイタマみたいに一日も欠かすなとは言わない。
しかし、猶予期間が終わるまでは、せめてこれくらいは続けようぜ、俺。
そして、サラリーマンに戻って50前後になって、また何か血迷って脱サラ考え出したら、この日記を読み返して、あぁそういえば俺の無能さは証明済みだったと踏みとどまろうじゃないか、わはは。